岡山(倉敷)大会現地便り ⑪

2021年7月14日

テーマ別分科会「ハンセン病について」
新良田にいらだ教室のこと-

和田 茂(わだ・しげる 岡山・元高校教員)

 今夏のオンライン大会でも現地のテーマ別分科会が設置される予定です。現地では昨年度お願いしていた長島愛生園歴史館学芸員の田村朋久さんに再度講師をお願いすることになりました。2020年7月号に岡山の吉田美知子先生が長島愛生園を訪問され、田村さんからお話しを聞かれた貴重な長島愛生園訪問記が掲載されていますが、来年度の大会では分科会の時間も縮小されることもあり、ここではかつて長島愛生園にあった邑久高等学校新良田にいらだ教室のことを少し紹介しておきたいと思います。




新良田にいらだ教室」とは
 1953年全国の入所者組織の運動により高等学校の設置が決定され、1955年に全国にただ1つハンセン病患者が入学できる高等学校、邑久高等学校「新良田教室」が長島愛生園に開校しました。
 当時の彼らの生活の様子や想いの一端が長島愛生園歴史館に展示されています。はるばる遠い地から長島までの旅の様子や移動中の待遇のこと、高校で学べることへの喜びと希望、授業の様子、寮生活のこと、将来への大きな不安、彼らの書き残したものは痛切です。また、当時の教師が準備したLHR討議資料「学校を卒業し、社会生活にはいるとき、私たちはどのような心構えが必要か-特に病気に対する差別偏見に対して-」も展示されています。「偏見や差別にどう対処するか」の項では、「…自分一人で孤独にならず、理解ある人々と行動をともにすることは、生きることに大いに役立つ」、また「うそをつくことはよくない」としながらも、現実を生き抜く上で「うそをつくことも許されるべき」という言葉もあり、当時の卒業していく生徒たちに社会で生きていく力をどう育てるのか、当時の教師たちが思い悩む様子を見るような思いがします。


長島愛生園歴史館パネルより

「ベル制」問題、1987年閉校
 彼らの生活には様々な日常の制約がありました。当時「ベル制」というルールがあり、生徒の職員室入室は原則禁止、用事のある生徒は先生毎に異なるモールス信号でベルを押して伝え、職員室の外で待つという方式でした。薬の普及もあり、生徒からのこのルールへの批判が起こり、教職員と生徒会が対立、最終的には条件付きで生徒の意見が認められるのですが、当時教師として勤務し生徒との協議の司会進行をされた横田廣太郎先生が、朝日新聞デジタル特集記事「邑久長島大橋30年【3】『ベル制』の廃止 生徒と議論」でこの話を紹介されています。
 ハンセン病が治る病気となり新規患者が出なくなり、新良田教室は1987年閉校します。卒業者はのべ397人、社会復帰した人たちは280人。閉校記念の石碑「希望の碑」には「新良田教室 それは ここに学んだわれわれの青春と栄光のシンボルである」と刻まれています。